ニッサンサニー1200マイカーとのふれ合いで豊かな生活になった

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ニッサンサニー1200でのパフォーマンス

家内と両親を乗せて300km日帰り
高速道路を110km/h の速度で150km程を往復した時の様子。100km/弱の速度域で タイヤが振動するため壊れるんではと気が気で無いクルマ運転であったが、メイドインジャパンのマイカーは全く動じなかった。

バンドグループで山のキャンプ
1000m近い峠越え、カルデラ湖のほとりでテント+定番のバーベキュー。焚火禁止ですよ との注意はされたが、多めに見てもらい車中で寒さに震えながら寝た。復路は別のルートを回りドライブを満喫。

バンドグループで海辺のキャンプ
この海辺は東伊豆にあって今日で言うと、プライベートビーチ的ロケーションですごく気に入っていたが、数年後に接収されて、今は、立ち入り禁止となってその後は楽しめなくなった。(往復150km)

バンドグループで泊りがけの合宿
遠方の合宿所(往復1500km)も 海辺にあり 潮風を受けながら長距離ドライブを満喫した。
高速道路を工程のほぼ半分、そこからは一般道をひた走り。お伊勢詣でを横目にさらにドライブを続けた先の合宿は既設のスタジオで広々としており、アマチュアには豪華すぎる気分を味わった。

カーフェリーで1000㎞
カーフェリーで1000㎞を運んでもらい、着いた先で500㎞をぐるっとドライブ。船酔いに若干苦しめられたが、寝てる間に1000㎞も運んでもらえる!素晴らしい。 到着した地域は、決して広くなかった道路ではあったが、 走っている車も少なく、楽々懐かしい景色をあちこち訪ねて走り抜けてくれた。
が  フェリーの旅は体調不良により往路のみ、
帰路は1500kmをひたすらドライブ、ドライブ、ドライブ。宿泊の予約も取れてない、とにかく走行距離を稼ぐため景勝地も目をつむって通過、日程的にはつじつま合わせが出来たこの、ドライブも故障することもなくはしってくれたマイカー サニー1200だった。

雪道のスリップを楽しむ
道路わきに 雪の 残っている高原の道を、標準タイヤで、後部をフラフラさせながらのドライブ。前後を走る他の車も 現代ほど 多くなく、お気楽に、マイカー運転を楽しんだ。

ニッサンサニー1200の購入時期

自動車メーカーが、これは売り物になる、稼げる、と生産に全力をあげ始めた時期 日産自動車の サニークーペ第2世代を(白)を先輩の知人の紹介で購入した。 1970年ころ。35万円(頑張りました)。

ニッサンサニー1200購入の動機

自分でクルマを購入しようと思い立ったのは、友人の車で 救急病院に 運んでもらった際に、自家用車は つかえる!と感じたのがきっかけである。友人の車に乗ったまま、救急車の後ろに付いて走り病院まで行った。
半世紀過ぎても、救急車に付いて走ったのはこれきりとのこと。
だがまだ 自身は運転免許証 を取得してなかった。  仕事の帰りに教習所に通い 検定を2度落ちたが受講を続けて免許証を取得した。  サニークーペを選んだのは、友人が同じ名前の車に乗っていて、なるほどと思ったからだが 1000ccバージョンはすでに 生産中止となり 第2世代がデビューしていた。

ニッサンサニー1200(クーペ)の仕様

エンジン・排気量1,200cc 水冷式4気筒 4ストロークサイクル(まだOHV式)
変速機・4段変速手動式である。マニュアルシフトレバーは膝の高さで、小気味良くシフトアップ出来て 後輪を駆動した。
シートとか・大人5人が乗れる、全体に大型になり 運転も容易で 後部シートが倒せて使い勝手の良い 味のあるクルマになってきた。

少し専門的な話

パワートレイン
エンジンを 前輪と前輪の間くらいに積み 駆動力を後輪 にかけるいわゆる FR式Front.engine-Rear.accelerater)であった。ちなみにトラックは現在でもこの形式である。
懸架装置クルマのボデーとタイヤを繋いでいる仕組み
板ばねが後輪を懸架するスプリングに使われ、左右の後輪をつなぐ 車軸 と 車体 を4ヵ所で接続した) 独立懸架では無くて(リジッドアクスルーRigid.accelerater)方式であった。
前輪は左右それぞれに、コイルスプリング と ダンパー と リンク で車体と繋がっている(4ヵ所)、こちらは独立懸架と言う。まだまだトラック(小型の)などと同じ。
写真の/////のところ(8点)で車体と繋がっている。後輪(車軸)とボデーの///// 2つ間の曲がった部品が板ばねだ。

モノコックボデー 構造で飛躍的に軽量の車体に出来ていた。タイヤを含む懸架装置の上にトラックとは車体の構造が異なり、菓子の最中が乗っかている(あんこが運転手と乗員)ような構造で軽くて高剛性のクルマとなっていた。
現在では、モノコック当たり前ですね。(オフロードビークルさえもモノコックになってきた)

パワートレイン・走る力の伝わり方
エンジン回転軸➡足踏式クラッチ➡手動選択式変速機➡プロペラシャフト➡デフギヤ➡左右アクスルシャフト➡左右後輪タイヤ回転力 へとパワーが伝達される方式。
前輪は方向を変えるのが主な役割。ラック&ピニオンを使いパワーアシストなしでも軽いハンドル回しが出来た。
ブレーキ力は4輪(前輪2後輪2)とも 足踏み力➡油圧➡タイヤ軸締め付け➡ブレーキ力。

板バネで懸架する足回りでも、アマチュアのレーシングでは人気のあるニッサンサニーだった。 
前輪もドラムブレーキ(マイカーはベースモデル) ドラムブレーキに1度だけ水が入りその時は停止できなかった。数年後にはデイスクブレーキが当たり前の風潮になってきた。安心。

ニッサンサニー1200の使い勝手

エアコンねえ(ヒーターは標準装備)。 パワステねえシートベルトなんざ見たことねえ、ただ、FR式だったのでハンドル回しは比較的軽い方だった。  パワーもスペースも乗り心地も 現代、2010年代の 軽自動車に 完全に負けているが、 近年は当たり前になっている 後部座席が 前に倒れ、床がフラットになる構造だった、ので重宝してきた。
友人たちとキャンプ・ビラスタジオでとか ある時は両親乗せて観光地巡りとか各地を走り回り自動車運転を楽しんだ。

ニッサンサニー1200マイカー時代の道路

舗装道路などのドライブでも、外からの空気を取り込むことで涼むのが当たり前の時代(外気取り込み用に三角窓が付いていた)暑さをこらえきれずに窓を開けたままドライブすると、帰り着いたときはホコリまみれとなっているマイカー運転の時代ではあった。道路の舗装もどんどん進められていったが、まだまだ途中が(市街地と市街地の間)未舗装の道路ものこっていた。ガードレールなど無い道路も普通であった。

ニッサンサニー1200・タイヤも進化してきた

タイヤがチューブレス化へ転換
一度だけ後輪タイヤに 金属棒 突き刺さり(前輪が釘などをはね起こし、後輪に刺さる はよくあるらしい) 空気が抜けて、ペタンコになり、そのままでは走れなくなった。
予備のタイヤ(当時は予備のタイヤが標準装備だった)に交換して、工場に持ち込み、修理をしていただいた。既にチューブレスタイヤが出回っており、修理は空いた穴にゴムを押し込み接着剤でつなぐやり方で、チューブの修理のようにホイールとタイヤとチューブをばらばらにしてチューブにパッチ当てるのではなかった。簡単!。有難い!。チューブ式のようなバースト(破裂)の無いタイヤになってきた。

チューブレスタイヤのチョイスも、先述の先輩が気をまわしてくれていたのであった。

ニッサンサニー1200の基本スペック

(W690 P58 1=3.735 f=3.990 T=6.00-12) W=クルマ重量 P=エンジンパワー 1=変速機第1速 f=最終減速比ーデフギヤ内 T=タイヤサイズ

ニッサンサニー1200・マイカーとお別れ

ニッサンサニー1200 のクラッチが~~

ある時、クラッチが滑って、エンジン回転と車速がズレることに気づいた? 運転技術の未熟さからクラッチを繋ぐ操作時に滑らせすぎて、クラッチ板が摩耗したようだ(左足でペダルを踏んで 切るー繋ぐ の機械式 )この状態の復旧(修理)は多大な費用を覚悟しなければならない。

ニッサンサニー1200・のフロントガラスがXXXX

年の瀬の30日に対向車のハネた石で フロントガラスが粉々に(強化ガラスと言われ 傷が着くと一瞬で全部粉々になる  現代は合わせガラスが使われ粉々にはならない) なった。このピンチも先の知人の紹介してくれたガラス店まで フロントガラス の無いままに運転して行き その日の内に取り換えてもらい、無事帰宅できた(外国製のクルマだとかなり待たされた時代)が ガラス片が 温風ダクトに入り込み 後々までも騒ぎ立てて気ぜわしかった。

ニッサンサニー1200・のボデーの錆が別れの

最も悲しかったのは、ボデーにつけてしまった傷をリペアしても次第に 錆が広がってくることだった。黄色のシミがタレて広がってくる。 修理をプロに依頼すれば良かったのだが、へこみも大きかったのと他の石ハネによる小さな傷も錆を発生させてきて、洗車しても 全体に汚れて見える様になり、クラッチの摩耗も進んでいるし、と、修理への選択は迷いに迷った。

マイカーの構成材料(モノコックボデー用鋼板)

亜鉛メッキ処理鋼板はまだまだほとんどの車体用鋼板ではなされておらず、塗装の下塗り(錆止め用塗料)で錆止めとしていたので、塗装面に傷をつけるとすぐに赤錆が発生した。

現代のクルマは余程広い傷(広さ25㎜程をメッキ無しにしてしまうような傷)を付けなければ 亜鉛メッキの効果で 錆の発生は無い。ただし変形を修正しての再塗装では、修正時の加熱などで亜鉛メッキが変質とか剥がれてメッキ効果が無くなり、錆びやすくなる可能性はある。

中古車市場に、この頃のクルマがほとんど見られないのはボデーの腐食(錆び)が大きく進んで修復が非常に困難になってしまったためと考えています。

ニッサンサニー1200・とお別れ

2度目の車検(新車から4年が過ぎてーこの当時)を断念して手放した.×⊥×。有り難うニッサンサニー1200

自動車ボデー用鋼板の話

自動車の車体を構成するのは、0.6㎜の厚さの大きな鋼板です。
製造している日本の製鉄メーカーの技術は世界一と言っても過言でなく、 日本の収入元の柱の一つである。 残念ながら、最初に作り始めたのは、北欧の国と聞いている。 自動車そのものも、日本が得意な商品で収入元であるが、世界初の商品を開発して行けるように願っています。

免許取りたての私にトラックではあったが、初めての運転をさせてくれて同乗してくれた。 師匠-大先輩(愛車がスカGだった) 今でも感謝しています。

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