クルマで走るマイカー日産サニー1200とのふれ合い

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クルマで走る、マイカーは生活を豊かにする

管理人 人生初のマイカーとのふれあい 日産サニー1200クーペDX

クルマで走る、マイカーの購入

自動車メーカーが、これは売り物になる、稼げる、と生産に全力をあげ始めた時期 日産自動車の サニークーペ第2世代を(白)を知人の紹介で購入した。 1970年ころ。35万円(頑張りました)。

クルマで走る、購入の動機

自分でクルマを購入しようと思い立ったのは、友人の車で 救急病院に 運んでもらった際に、自家用車は つかえる!と感じたのがきっかけである。友人の車に乗ったまま、救急車の後ろに付いて走り病院まで行った。
半世紀過ぎても、救急車に付いて走ったのはこれきりとのこと。
だがまだ 運転免許証 を取得してなかった。  仕事の帰りに教習所に通い 検定を2度落ちたが受講を続けて免許証を取得した。  サニークーペを選んだのは、友人が同じ名前の車に乗っていて、なるほどと思ったからだが 1000ccバージョンはすでに 生産中止となり 第2世代がデビューしていた。

クルマで走る、マイカーの仕様

エンジン・排気量1,200cc 水冷式4気筒 4ストロークサイクル(まだOHV式)
変速機・4段変速手動式である。マニュアルシフトレバーは膝の高さで、小気味良くシフトアップ出来て 後輪を駆動した。
シートとか・大人5人が乗れる、全体に大型になり 運転も容易で 後部シートが倒せて使い勝手の良い 味のあるクルマになってきた。

少し専門的な話

パワートレイン
エンジンを 前輪と前輪の中央くらいに積み 駆動力を後輪 にかけるいわゆる FR式Front.engine-Rear.accelerater)であった。
懸架装置
後輪を懸架(後輪と後輪をつなぐ 車軸 と 車体 との接続)するスプリングは板ばねで 独立懸架では無く(リジッドアクスルーRigid.accelerater)方式で まだまだトラック(小型の)と同じであった。
モノコックボデー
トラックとはボデー(車体)の構造が異なり、モノコックボデー 構造で飛躍的に軽量のボデイに出来ていた。

エンジン回転軸➡足踏式クラッチ➡手動選択変速機➡プロペラシャフト➡デフギヤ➡左右アクスルシャフト➡左右後輪タイヤ へとパワーが伝達される方式。
前輪は方向を変えるのが主な役割。

板バネで懸架する足回りでも、アマチュアのレーシングでは人気のあるクルマだった。 前輪もドラムブレーキ(マイカーはベースモデル) ドラムブレーキに1度だけ水が入りその時は停止できなかった。数年後にはデイスクブレーキが当たり前の風潮になってきた。安心。

クルマで走る、マイカーの使い勝手

エアコンねえ(ヒーターは標準装備)。 パワステねえシートベルトなんざ見たことねえ、ただ、FR式だったのでハンドル回しは比較的軽い方だった。  パワーもスペースも乗り心地も 現代、2010年代の 軽自動車に 完全に負けているが、 近年は当たり前になっている 後部座席が 前に倒れ、床がフラットになる構造だった、ので重宝してきた。
友人たちとキャンプ・ビラスタジオでとか ある時は両親乗せて観光地巡りとか各地を走り回り自動車運転を楽しんだ。

クルマで走る、マイカーのパフォーマンス

サニークーペ1200

家内と両親を乗せて

高速道路を110km/h の速度で150km程を往復した時の様子。100km/弱の速度域で タイヤが振動するため壊れるんではと気が気で無いクルマ運転であったが、メイドインジャパンのマイカーは全く動じなかった。

バンドグループで

山のキャンプ、1000m近い峠越え、カルデラ湖のほとりでテント。焚火禁止ですよ との注意はされたが、多めに見てもらい車中で寒さに震えながら寝た。

別の海辺のキャンプ地は今日で言うと、プライベートビーチ的ロケーションですごく気に入っていたが、数年後に接収されて、今は、立ち入り禁止となって 2度と楽しめなくなった。
泊りがけの 遠くの合宿所(往復3000km)も 海辺にあり 潮風を受けながら長距離ドライブを満喫した。

クルマで走る、マイカー時代の道路

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舗装道路などのドライブでも、外からの空気を 取り込むことで涼むのが当たり前の時代(空気取り込み用に、三角窓が付いていた)暑さをこらえきれずに窓を開けると 帰り着いたときは 埃まみれとなっている マイカー運転の時代ではあった。
道路の舗装もどんどん増えて伸びていったが、まだまだ途中が未舗装の道路も残っていた。ガードレール など無い道路が普通であった。

クルマで走る、タイヤも進化してきた

一度だけ後輪タイヤに 金属棒 突き刺さり(前輪が釘などをはね起こし、後輪に刺さる はよくあるらしい) 空気が抜けて、ペタンコになり、そのままでは走れなくなった。
予備のタイヤ(当時は予備のタイヤが標準装備だった)に交換して、工場に持ち込み、修理をしていただいた。既にチューブレスタイヤが出回っており、修理は空いた穴にゴムを押し込み接着剤でつなぐやり方で、チューブの修理のようにパッチ当てるのではなかった。簡単!。有難い!。チューブ式のように、バースト(破裂)も少ないタイヤになってきた。

チューブレスタイヤのチョイスも、先述の先輩が気をまわしてくれていたのであった。

クルマで走る、マイカーをカーフェリーで1000㎞

カーフェリーで1000㎞を運んでもらい、着いた先で500㎞をぐるっとドライブ。船酔いに若干苦しめられたが、寝てる間に1000㎞も運んでもらえる!素晴らしい。 到着した地域は、決して広くなかった道路ではあったが、 走っている車も少なく、楽々走り抜けてくれたマイカー サニー1200だった。

クルマで走る、マイカーで雪道

道路わきに 雪の 残っている高原の道を、標準タイヤで、後部をフラフラさせながらのドライブ。前後を走る車も 現代ほど 多くなく、お気楽に、マイカー運転を楽しんだ。

マイカーの基本スペック

(W690 P58 1=3.735 f=3.990 T=6.00-12) W=クルマ重量 P=エンジンパワー 1=変速機第1速 f=最終減速比ーデフギヤ内 T=タイヤサイズ

クルマで走る、マイカーとお別れ

クルマで走る、マイカーのクラッチが~~

ある時、クラッチが滑って、エンジン回転と車速がズレることに気づいた? 運転技術の未熟さからクラッチを繋ぐ操作時に滑らせすぎて、クラッチ板が摩耗したようだ(左足でペダルを踏んで 切るー繋ぐ の機械式 )この状態の復旧(修理)は多大な費用を覚悟しなければならない。

クルマで走る、マイカーのフロントガラスがXXXX

年の瀬の30日に対向車のハネた石で フロントガラスが粉々に(強化ガラスと言われ 傷が着くと一瞬で全部粉々になる  現代は合わせガラスが使われ粉々にはならない) なった。このピンチも先の知人の紹介してくれたガラス店まで フロントガラス の無いままに運転して行き その日の内に取り換えてもらい、無事帰宅できた(外国製のクルマだとかなり待たされた時代)が ガラス片が 温風ダクトに入り込み 後々までも騒ぎ立てて気ぜわしかった。

クルマで走る、マイカーのボデーの錆が別れの

最も悲しかったのは、ボデーにつけてしまった傷をリペアしても次第に 錆が広がってくることだった。黄色のシミがタレて広がってくる。 修理をプロに依頼すれば良かったのだが、へこみも大きかったのと他の石ハネによる小さな傷も錆を発生させてきて、洗車しても 全体に汚れて見える様になり、クラッチの摩耗も進んでいるし、と、修理への選択は迷いに迷った。

マイカーの構成材料(モノコックボデー用鋼板)

まだ、鋼板に亜鉛メッキ処理はほとんどの鋼板でされておらず、塗装の下塗り(錆止め用塗料)で錆止めとしていたので、塗装面に傷をつけるとすぐに赤錆が発生した。

現代のクルマは余程広い傷(広さ25㎜程をメッキ無しにしてしまうような傷)を付けなければ 亜鉛メッキの効果で 錆の発生は無い。ただし変形を修正しての再塗装では、修正時の加熱などで亜鉛メッキが変質とか剥がれてメッキ効果が無くなり、錆びやすくなる可能性はある。

クルマで走る、マイカーとお別れ

2度目の車検(新車から4年が過ぎてーこの当時)を断念して手放した.×⊥×

自動車ボデー用鋼板の話

自動車の車体を構成するのは、0.6㎜の厚さの大きな鋼板で、製造している日本の製鉄メーカーの技術は世界一と言っても過言でなく、 日本の収入元の柱の一つである。 残念ながら、最初に作り始めたのは、北欧の国と聞いている。 自動車そのものも、日本が得意な商品で収入元であるが、世界初の商品を開発して行けるように願っています。

クルマで走る、知人に感謝を

免許取りたての私にトラックではあったが、初めての運転をさせてくれて同乗してくれた。 - 今でも感謝しています。

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